圓徳院 京都観光2008年9月23日その3 [寺院 京都]
霊山で午後3時30分昼から子ども連れなんで子供が疲れてきてしまいもう帰ろうかということになったんですが。
圓徳院行くの忘れてたよ。
ということで。
とりあえず台所坂を下って行きますと、当然圓徳院の前あたりに出るわけです。
小さいと思うしやっぱり寄っていこう。
圓徳院はねね終焉の地、といわれています。
ねねは個人的におんな太閤記1981年 NHK大河ドラマの 佐久間良子のイメージが大なので、
秀吉と同い年か年上かと思ったら秀吉より5歳~10歳も年下だったんですね。
彼女が58歳前後ごろに高台院の号を勅賜た後に伏見城の化粧御殿と前庭を移築し圓徳院に客殿(現方丈)を建立しそこに住み、高台寺も建立したとのことです。
秀吉も高齢になってなくなったと思いましたが、61で亡くなったんですね。当時なら高齢でしょうが、70歳ぐらいかと思っていました。
ねねは76~83の間だそうです。
入り口も長屋門や唐門がある辺りからおもむきがあります、秀吉公好みの手水鉢もありましたが、今回いずれも撮影忘れました。
方丈から見た南庭です。日差しも良く当たり白砂の文様がに緑が映え、いい雰囲気です。
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方丈内の屏風です、撮影禁止が見当たらないので撮っちゃいましたがまずかったかな?
写真の左の塔が八坂の塔、まんなから片は八坂神社、おくが清水寺です。
方丈には雪月花図襖などが有ります。
方丈から北書院に行く間にねねの小径というところを渡り廊下で上を通ります、このとき偶然舞妓さん風の着物を着た人が通りましたが、本物?それとも観光客の衣装体験か何かでしょうか?
渡り廊下の間の中庭です
渡り廊下の途中には蔵がありなにやら展示してありました。
渡り廊下を更に通って、北書院へ。北庭の眺めです伏見城の化粧御殿の前庭の移築です。
今回お茶席の時間で人が一杯でしたので写真が撮りにくかったので桧垣の手水鉢を撮影忘れました。
北庭は石の配置が力強い枯山水です、石橋の渡してあるのも風流で、桃山時代の豪華で豪胆なつくりです。
出口の横には三面大黒天がありました、でも目線が行くのは都路里のお店高台寺店、これは境内敷地内?
小さいけどゆっくり時間をとり鑑賞したいお庭です。写真では実物の100分の一も豪快さが伝わりません。
お庭を独り占めできたら最高でしょう。
圓徳院行くの忘れてたよ。
ということで。
とりあえず台所坂を下って行きますと、当然圓徳院の前あたりに出るわけです。
小さいと思うしやっぱり寄っていこう。
圓徳院はねね終焉の地、といわれています。
ねねは個人的におんな太閤記1981年 NHK大河ドラマの 佐久間良子のイメージが大なので、
秀吉と同い年か年上かと思ったら秀吉より5歳~10歳も年下だったんですね。
彼女が58歳前後ごろに高台院の号を勅賜た後に伏見城の化粧御殿と前庭を移築し圓徳院に客殿(現方丈)を建立しそこに住み、高台寺も建立したとのことです。
秀吉も高齢になってなくなったと思いましたが、61で亡くなったんですね。当時なら高齢でしょうが、70歳ぐらいかと思っていました。
ねねは76~83の間だそうです。
入り口も長屋門や唐門がある辺りからおもむきがあります、秀吉公好みの手水鉢もありましたが、今回いずれも撮影忘れました。
方丈から見た南庭です。日差しも良く当たり白砂の文様がに緑が映え、いい雰囲気です。
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方丈内の屏風です、撮影禁止が見当たらないので撮っちゃいましたがまずかったかな?
写真の左の塔が八坂の塔、まんなから片は八坂神社、おくが清水寺です。
方丈には雪月花図襖などが有ります。
方丈から北書院に行く間にねねの小径というところを渡り廊下で上を通ります、このとき偶然舞妓さん風の着物を着た人が通りましたが、本物?それとも観光客の衣装体験か何かでしょうか?
渡り廊下の間の中庭です
渡り廊下の途中には蔵がありなにやら展示してありました。
渡り廊下を更に通って、北書院へ。北庭の眺めです伏見城の化粧御殿の前庭の移築です。
今回お茶席の時間で人が一杯でしたので写真が撮りにくかったので桧垣の手水鉢を撮影忘れました。
北庭は石の配置が力強い枯山水です、石橋の渡してあるのも風流で、桃山時代の豪華で豪胆なつくりです。
出口の横には三面大黒天がありました、でも目線が行くのは都路里のお店高台寺店、これは境内敷地内?
小さいけどゆっくり時間をとり鑑賞したいお庭です。写真では実物の100分の一も豪快さが伝わりません。
お庭を独り占めできたら最高でしょう。
2008-10-09 00:13
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